私は親権の裁判(父親)を行いました。そして負けました。ここまでの状況だったのにも関わらず・・・(前編)

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Interior of an empty courtroom with gavel and sounding block on the desk.

私は2018年に親権の裁判を行いました。裁判に至るまでの経緯、エピソード、実体験、それらから感じた事をお伝えしたいと思います。離婚をお考えの人、これから裁判を行おうと考えている人、少しでも参考になれば!とこの記事を書いています。前編では、離婚から裁判までの経緯をお伝えします。※あくまでこの内容は私自身の体験談であり何かを保証等するものではありませんのでご了承ください。

結論からお伝えすると、私は裁判は負けました。

こんな状況だったにも関わらず負けた結果も参考にしていただけたらと思います。

元妻はうつ病で買い物依存症だった

私の元妻はうつ病でした。そして買い物依存症でもあり、借金もありました。息子が4歳くらいまで一緒に暮らしていました。2歳くらいからほとんど私が面倒をみていました。私は当時サラリーマンをしていました。朝はご飯を食べさせ登園準備をして子どもを保育園に連れていき、ギリギリで出社。帰りは定時で退社し、子どもをお迎えに行く。そこから買い物など済ませ、食事を作り子どもと食べる。その後、お風呂に入れて寝かしつける。世のお母さんが育児時短などをとってこなしているようなことをフルタイムで働きながら、こなしていました。その分、子どもにも可哀想な思いをさせ負担をかけていたと思います。一方、元妻は何をしていたかと言うと借金を返すため、アルバイトから正社員になるために夜遅くまで仕事していました。土日はと言うと、うつ病と日頃の疲れから一日中ベットの中で過ごし子どもにも寂しい思いをさせていました。多少大袈裟かもしれませんが、ほぼこの状態でした。家の中はネット注文でいっぱいになったカバンや洋服、それらが入っていたダンボールが山積みになりゴミ屋敷のような環境でした。子どもの布団の周りにもあり、ぶつかると物が落ちてくるような状態でした。

夫婦関係は悪い状態にも関わらず妊活を始める

息子の成長と共に、少し子育てに対して少し余裕が出てきた頃です。息子に兄弟がいたらいいんだろうなとぼんやり考えてたら頃、私と元妻の共通の友人夫婦が女の子を授かったという話を耳にしました。もともとお互いに女の子が欲しいという願望があり、話し合いをしました。この頃は、夫婦関係は悪くてもこの人と一生を共に過ごさなければいけないと思っていました。そしてこのタイミングを逃すと、もうお互い妊活なんて出来ないという話になり妊活を始めることとなりました。とは言ってもうつ病、金銭面が不安だったので何度か確認をしました。元妻も「これからまた頑張る。お金の方もなんとかする!」と言ってくれて、これがきっかけで色々改善していけるのかな?と少し期待もしていました。そして妊活開始から数ヶ月後、めでたく妊娠しました。

ある日ポストを見たら赤い封筒の郵便が入っていた

妊娠が発覚して少し経ったある日、ポストを見にいくと真っ赤な封筒が入っていました。今まで、こんな封筒は見たことがなく驚愕しました。差出人は弁護士事務所でした。正直、中身が怖かったので開封し内容の確認をしたいところでしたが、さすがにそれはせず本人に渡しました。手紙を渡した時、元妻は中身を把握していたのか、特に反応はなく過ごしていました。私はとても不安だったので、本人に内容を問い詰めました。そうすると「差押通告でしょ…」と小さい声で話してくれました。それを聞いた時、背筋が凍りました。今までは紫の封筒で届いていたそうです。それを無視し続けた結果、赤い手紙が届いたとのこと要は差押え最終通告の手紙だったということです。この話を聞いた時、離婚しようと踏ん切りがつきました。

元々ある借金は順調に返している。お金もなんとかすると妊活前に話していたことを、こんな形で裏切られるなんて… 私としても、その言葉を信じて今後良い方向に少しは進んでいくのかと期待していた分、ショックでした。色々な感情が沸いてきました。息子の面倒も見れない、金銭管理が出来ない状態に回復の兆しも見えない。これは親権は私がもらい育てて行こうと考えました。

決死の覚悟を持って離婚を告げる

自らこんなことを告げるとは夢にも思っていませんでした。ですがこの先のことを考えたら「離婚」以外に方法はないと考え、それを伝えました。このまま生活を続けていくことが困難であること。本当に悔しくて望まないがお腹の子どもを下ろして欲しいこと。息子の親権は私がもらうこと。その代わり会いたいときには会えるようにすること。今考えると酷い条件を伝えたなと感じますが、私自身もかなり追い詰められた状況で、この答えしか導きだすことができませんでした。未だにあの時、この選択肢以外に他の解決策があったのか分かりません。そのくらい金銭的、精神的に追い詰められていました。

もちろんその場で受け入れてもらえることではないのは分かっていたので、その場で決断を促すことはせず、考えてほしいと伝えこの場は収めました。

離婚を告げた後、元妻は一度実家に帰ると言い…

離婚を告げた後、元妻は週末に一度息子を連れて実家に帰ると言い出しました。もしかしたら子どもも、元妻の実家に行けるのも最後かもしれないと考え、それを了承しました。日曜日、いつもなら私がお迎えに行くか実家の方で送ってくれるのか連絡が来るところ、連絡がなく音信不通でした。一先ず待っていようと家で待機していたら、ガラガラと何やら大きな音が向かってきました。元妻とそのお母さんが大きなキャリーバッグを持って家に来たのです。そして「貴方には子どもを預けられません。今後のことは第三者を挟んで連絡します。もう二度と連絡してこないでください。」と言い荷物をまとめ始めました。息子はどうしているのか尋ねると、「車にいる…」とのことで私は息子のところへ行きました。抱っこをして息子に話をしていると…「これからは、じいじとばあばのお家で住むんだって」と言われ驚愕しました。一度も目を合わせてくれませんでした。その後すぐに元妻が来て無理矢理、私から子どもを奪い取り連れて行きました。両親と来て、子どもにもあんなことを言わせて、私からすると完全な「連れ去り」でした。ですが、これは裁判所では「連れ去り」とは判断されません。実家に帰るといい、そのまま私に会わせず自宅に帰ってこなければ「連れ去り」と判断されたと思います。後から発覚したのですが、妻は実家に帰ると言いつつ弁護士事務所に相談に行っていました。そこで「連れ去り」にならず、子どもを自分の元へ連れてくる手段を聞いていたんです。

背中を押してくれたのは保育園の先生でした

元妻と子どもが居なくなったあと私は1人泣き崩れていました。何故こんなことになってしまったのか。色々な角度から自問自答を繰り返していました。もちろん元妻には様々な問題はありましたが、もちろん自分自身にも問題がある。もしかしたら自分と暮らしていたことにより、うつ病がひどくなったかもしれない。何をどこでどうすればよかったのか。色々考えていく中で、行き着く先はやはり息子の今後の生活でした。息子のこれからを考えていくと「親権の裁判をするべきか…」と。もちろん親権を貰って1人で育てていく覚悟の上で離婚を告げました。ですがあの時、「これからは、じいじとばあばのお家で住むんだって」と言われたショックも大きく、精神的に崩れてしまい何が正解なのか全く判断することが出来ない状態でした。

数日後たまたま朝、出勤途中に保育園の先生と遭遇。私のことを心配してくれており、声をかけてくれました。元妻がうつ病であることは見ていて分かっていた。この先、面倒を見て行けそうにないこと。などお話ししてくださいました。話が長くなってしまうと思っていた矢先に「一度保育園にきてください。園長先生にも伝えておきます。」と言われました。嬉しくもあり申し訳ないお言葉でした。その日の夕方、保育園にお邪魔させていただきました。たまたま担任の先生もいらっしゃったので、経緯をお話させていただきました。あの時の私の説明を、先生方がどのように受け止めてくださったかはわかりませんでした。ですが親権の裁判を行うべきか、迷っていることを相談すると「やったほうがいい。応援する」と話してくださいました。「土日に子供と手をつないで歩いている姿を何度も見た。日々接している姿も見てきた。お父さんがしっかり子育てをしてきたのは私たちがよく知ってる。」と背中を押してくださいました。私自身、息子の面倒を見てきた自負はありました。ですが元妻もその家族もそれを認めることなく否定させるばかり。それをまさか保育園の先生方に肯定していただけるなんて…恥ずかしいなんて考える間もなく涙が止まりませんでした。ですが、裁判を行えば保育園にもご迷惑をおかけしてしまうと話すと「前にも2、3回同じ経験あるからその点も大丈夫よ」と暖かいお言葉をいただき、親権裁判を行うことを決意しました。 

話が一通り終わり、帰ろうとすると「こんな時にごめんなさい。今月のそおやつ代の支払いがまだで…奥様には前にお話したんですけど」と言われ、先生方と笑いながらも、ここでも未払いがあったことも謝罪し支払いを済ませ帰ってきました。

親権の裁判を決意し弁護士事務所探しを始める

初めはどこの事務所がいいのか全く分からず、とにかく親権の裁判に強そうな事務所をネットで検索して訪ねてみました。大体どこの事務所も30分~40分の無料相談があります。まずは相談してみようと夜中に電話をしてみました。24時間受付という事務所も多く、すぐ電話で相談内容を伝えられます。ですが当時の私は、答えを急ぎすぎて欲しい答えが貰えない対応をする事務員さんに苛立ちを覚えていました。弁護士さんが対応している訳ではないので当然なんですけどね。私の場合、3カ所の事務所に相談しました。とにかくお金が無かったので出来る限りコストをかけずに弁護士の先生からサポートを受けたいと考えていたからです。しかし事実、それは不可能でした。

1つ目の事務所では相談を終えて、その後は電話メールで相談、サポートいただく。対面で話したい時はまたこの無料相談って形できてくださいと言われて、これはありがたいと契約する流れでその日は帰りました。しかし次の日にその事務所から連絡があり契約内容、手続きの案内の電話の際、事務所の把握している内容と私の話の内容が違うとなり、この話はなくなりました。この時に弁護士さんも契約して貰うのに苦労しているんだなと感じました。事務所の場所も自宅から遠く、結果的にそこでお願いしなくて良かったです。

2つ目の弁護士事務所は自宅から近くのところを検索し相談に行きました。この時、弁護士へ依頼することの重さを改めて感じました。まずは着手金で約30万円!この時の私には準備できる金額ではありませんでした。この時はお恥ずかしい話、両親にお願いしお金を借りて支払いました。ところが・・・元妻の弁護士から指摘を受け依頼の取り消しになりました。この事務所は依然元妻が先に相談に行っていた事務所であることが発覚!「利益相反」の観点から依頼を断られお金も返金していただく流れに。時間と送金手数料を無駄にして次の事務所探しへ。

3つ目の事務所は職場から近い事務所を探しました。できる限り職場に迷惑をかけずに裁判を行うためです。こちらの事務所は対応も良くコストも2つ目の事務所とほぼ変わらんなかったのでそのまま依頼すくことになりました。しかし、そこで言われた内容に驚きを隠せず納得もできないものでした。

依頼をした際に弁護士からの言葉は・・・

依頼した弁護士事務所は初回の面談で、事務所の代表と実際に担当していただく弁護士の先生2人との面談でした。私がこの事務所に行き着くまでに元妻と息子と別居しいてから一か月半くらい時間が経っていました。それもあり事務所の代表に「今まで何していたの?時間がだいぶ経っていますね?」と言われ、簡単に今までの経緯をお伝えしました。その次には「調停をしたところで負けに行くようなものだから審判申し立てですね」と言われました。当時の私は何が何だか分かりませんでした。簡単に言うと調停より強い申し立てです。と言われ、私自身もその方が嬉しかったため快諾しました。ですが次の瞬間、担当弁護士は「最低でも月一回の面会交流を勝ち取りましょう」と言われました。その時の私には話の意図が全く掴めず理解できませんでした。私は何としてでも親権を取りに行く!としか考えていなかったですし、取れなくても会えて当然でしょ。と思っていました。なので弁護士の先生にお願いしてるのにも関わらず高いお金を支払っているのに、その程度の結果しか残さないの?など自分自身の想いが強すぎて納得はできませんでした。その時は何にしてもやってみるしかない。難しい裁判でも息子の為に頑張る!と自分に言い聞かせました。そしてようやくここから裁判が始まることとなりました。

後半に続く・・・

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