私は親権の裁判(父親)を行いました。そして負けました。ここまでの状況だったのにも関わらず・・・(後編)

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私は2018年に親権の裁判を行いました。裁判に至るまでの経緯、エピソード、実体験、それらから感じた事をお伝えしたいと思います。離婚をお考えの人、これから裁判を行おうと考えている人、少しでも参考になれば!とこの記事を書いています。後編では、裁判からその後までの経緯をお伝えします。※あくまでこの内容は私自身の体験談であり何かを保証等するものではありませんのでご了承ください。

結論からお伝えすると、私は裁判は負けました。

こんな状況だったにも関わらず負けたという結果も参考にしていただけたらと思います。

審判の申立て開始!そして初出廷!

審判の申立ての提出書類(事前聴取など)を裁判所へ提出。元妻側も提出し、裁判所から指定された日時に集められ、出廷という流れでした。

とても緊張しました。ここから始まり全てが決まってしまうんだ・・・そんな強い不安感等を弁護士の先生(以下、先生)にメンタル面もサポートいただきつつ臨みました。父親の親権獲得は難しい。先生にも月一回の面会交流を勝ち取りましょうと言われ、始まる前から不利な状況とプレッシャーをかけられる中で、向かえた初出廷!

ドラマで見るような光景。少しテンションが上がりつつも緊張感で興奮状態でしたが、できる限り落ち着き冷静に裁判官の質問に答えていきました。

思いの外、裁判官も話を聞き入れてくれて、元妻も私の主張を認め…

これは想像以上にこちらに分があるぞ!と感じる内容でした。

ですが、この好感触は私の誤解・・・

事前に提出したお互いの主張書面の内容を改めて確認しただけ。私としては元妻が非を認めたように感じましたが、裁判所の判断材料の重要要素ではないんだなと後々感じることとなりました。

2回目以降から少しづつ雲行きが怪しくなってくる…

※詳しく裁判の内容を書き記したいところですが、法律等の関係からそれが出来ないことをご了承ください。

今思えば好感触だったのは本当に最初だけだったと思います。2回目もまだこちらの話を聞いてもらえていたと思います。ですが当然、相手も黙ってはいません。

こちらを批判する内容も多々あり、事実と反することを言ってきたり、本当に酷い言い草でした。

そこからはドロドロの醜い底辺の争いを続けることとなりました…

自分ってこんなに最低な人間なんだなと感じてしまうくらい、相手への怒りが収まることなく次から次へと重ねて重ねて襲ってくる。人生でこんなにも精神異常状態になることはないんじゃかと思うくらいでした。

裁判が進んでいく中、子どもや保育園へ調査官の実態調査が始まる

調査官(裁判所の職員)が子どもに会いにいき、ヒアリングを実施。これは親子関係や子どもの精神的ストレスなどを確認するための工程です。

子どもの反応なのでどうしようもないですが、母親を慕っていた。家も綺麗にされており、一緒に料理をしたり出かけたりしたなど、今まで全くと言って良いほどやってこなかったことを裁判対策としか考えられない内容ばかりが報告に上がってきていました。

相手とすれば裁判対策でもなんでも当たり前のことをしているし想定内のことではありましたが、あまりに作り上げられた理想の環境

一番初めに弁護士事務所へ相談に行った時に言われた「親権は厳しいから面会交流を勝ち取りましょう」これが目の前にきてしまいました。

正直、この裁判の期間は本当に精神的に辛く苦しくこんなに醜い自分がいるのかと思うくらいの状態が続いていました。なので最後は諦めきれなくても、気力も奪われ「この結果」を受け入れざるを得ない状況という感覚でした。

裁判が終わりかけたところで私の弁護士の先生が面会交流をというところで裁判官に提案。それを受け入れてもらい面会交流の条件の話へと進みました。

裁判が終わりに差し掛かったあたりで面会交流の話し合いを始める

弁護士事務所に駆け込んだ時に言われた「面会交流を勝ち取りましょう!」がどんどん目の前に近づいてくるな…

でもこの頃には強い怒りや理不尽な現実への戦いも時間と共に疲弊し、当初ほどの強い想いはなく変化していました。決して諦めた訳ではありませんでしたが、この裁判での過程や時間が現実を受け入れるために必要な時間だったような気がしました。

面会交流の頻度や時間など、弁護士を通じてやり取りする中でも納得のいかないことだらけでした。こちらはお泊まりや月1回以上など子どもと過ごせる時間を大事にできるようイメージして提案しました。

しかし相手側の主張はこれまたとんでもない内容でした…

面会交流の条件で第三者機関を使用すると主張してくる

私が提案とはほど遠い内容で困惑しました。そもそも元妻は私に会わせたくない。それは分かっていたので、ある意味当然の主張ではあるものの…こちら側からすると最後の最後まで本当に苦悩する日々が続きました。もちろんこちら側は全く必要のないことだと監察官の意見も踏まえて主張。ですが、元妻の強い曲げない意志(姿勢)があまりに強すぎ、話が進まないことから第三者機関を選定する流れに…

選定は元妻側にお願いし親それぞれの面談から始まりプレ面会交流を実施する流れに決まりました。裁判をしながら並行して実施。第三者機関とのやりとりを随時報告しながら条件などを整えていきました。

第三者機関を通じて1回目の面会交流を実施したのにも関わらず…

その日に初めて会った第三者機関の方を交えての面会交流。子どもに会う前に注意事項などの説明を受け、元妻と顔を合わせないように時間をズラし面会交流する場所へ入ることに。この時は第三者機関指定の場所で行いました。

とある小さなカフェの2階が貸切状態で周りの目を気にすることなく子どもと第三者機関の職員の方と約1時間過ごしました。

子どもとのかけがえのない時間はあっという間に過ぎていきました…

面会交流が終わり私は第三者機関の方に私の行動等に問題がないか確認をとりました。「全く問題なかったですよ。お子さんも楽しそうにしていましたね。」と温かい言葉をいただき、少しホッとしました。元妻に指摘される要素がないよう確認できたこと。これからもこんな感じで子どもと過ごしていけばいいのかな。そんなことを考えながらその日は帰りました。

ところが後日、第三者機関から目を疑うような内容の連絡が届きました…

元妻に一方的に第三者機関を断られる

突然、「お母さんの方からお断りのご申告があり、面会交流の立ち会いを終了させていただきます」

という内容の連絡が第三者機関から入りました。何事だ?と動揺しました。元妻の主張は、先日の面会交流にて私に問題行動があったと強く非難。第三者機関の方も話してくれたそうですが、断固否定!という姿勢は変わらなかったそうです…

ここにきてこんなことをしてくるのか…こんなことが罷り通るのか…本当に辛かったです。子どもも母親の反応を見てどう思っているのか、感じているのか本当に不安しかなかったです。

裁判も終わり…

ある程度の事項が決まったら裁判所を交えてのことは終わりました。あとは個々のゴタゴタを弁護士の先生を介して整えるだけでした。

最後に

今はもう子どもとは一切会えていません。間接交流(写真を送ってもらう)なども一切ありません。

私は会うことも姿を見ることもできません。子どものことを日々遠くから心配して、無事に元気に育ってくれることを祈ることしかできません。何のためにここまで時間とお金をかけて戦ったのか…

怒りや憎しみに囚われ過ぎて子どもの為なはずなのに自分の為に戦っていた時間があったりなど…自己嫌悪の日々もたくさんありました。正直荒れていました。

ですが、この裁判をしなければ今こうして過ごすことは出来ていないと思います。どんなに頑張ってもこれ以上はどうにも出来ない…受け入れられないけど、受け入れざるを得ない…ここまでやり尽くしたからこそ前に進める…

もし、今裁判をすることをためらっている方がいらしたら是非、できるだけ早く一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか?遅ければ遅いほどデメリットしかありません。結果は変わらないとしても過程が変わるかもしれない。ほんの少しだけ早く前を向けるかもしれない。裁判だけが手段ではないですが、弁護士などの専門家に相談するだけでも違うと思います。

私の投稿はあくまで私の体験談に過ぎません。

ですが、似たような状況で苦しんでいる人に寄り添える内容が少しでもあれば嬉しく思います。

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